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これももう4年前ですが、小田車掌が12系の山口DC号に乗られていて感激しました!
この感銘のラストラン案内放送を務めて頂いた小田車掌が、万感の思いを込めて「無事故で旅を・・・終われることにとても感謝しております」と詰まりながらも話しかけてくれた言葉を聞くと、今でもあの時の心からの感動を鮮明に思い出します。今でも視聴可能なNHKオンデマンド番組「特集 ドキュメント にっぽんの現場 寝台特急 ラストラン ~人生を運び続けた半世紀~」において、小田車掌がこの動画で紹介したラストラン案内放送を入れている時の姿を映像で偲ぶことができます。4年前の12系山口DC号に乗車されていたんですね。もう引退されたんでしょうか?廃止がアナウンスされる前は人気がまるで無かった寝台特急「はやぶさ・富士」。廃止2~3年前では編成中”B寝台”2~3両は乗客無人が当たり前でした。スーツ様の人気動画「私だけの列車シリーズ?」企画を地で行くような「乗客私だけ一人・1両貸切でゆく寝台列車」を何度も経験し、その道中で小田車掌とお会いしていたのかもしれません。それも遠い思い出になってしまいました。コメントを頂き誠にありがとうございます。いつも投稿動画楽しみにしております。九州での企画の際は、時々人気動画に相乗りさせて頂いてます。感謝しております。特集 ドキュメント にっぽんの現場 寝台特急 ラストラン ~人生を運び続けた半世紀~facebook.com/NHKarchives/posts/738301049571035
12年前の動画に本物キターw自分も富士はやぶさに家族で乗車したとき、優しい小田車掌とお話させて頂いたのは良い思い出です!
本物で草
小田車掌でなく織田車掌になりますねしかしブルートレインはまたどこかでいつか復活してほしいです。客車寝台特急として
この汽笛・・・泣けるっっ!! 汽笛が哀愁を誘う。。。そういうことって大事ですよね。。。無くならないでほしいな。
心なしか、このオルゴールのトラブルはこの客車からのお別れの挨拶にも聞こえます。「まだお別れしたくない」という精一杯のメッセージだったのかもしれませんまた、聞こえる機関車の警笛も別れを惜しんでいるようにも感じられます。
このコメント泣けました
「鉄道車両はただの人を運ぶ鉄の箱なんかじゃない。人々の想いや歴史を具現化した生き物だ。だから撮る価値がある」というのが自分の持論ですが、「昭和から続いてきた毎日」の終わりの日にこの機関車&客車が泣いているかのような現象はまるで奇跡です。だからこそ、鉄道をただの箱と思わず大事にしてほしいという気持ちがあります。
電機もサヨナラ行ってますね撮り鉄多いからか
キチンと、さよなら放送が終わってから、拍手してますね。素敵です。
高校時代、部活で帰宅が少し遅くなった時にホームに止まっているブルートレインをよく見かけました。私達が手を振ると車掌さんが敬礼を返して下さり、その度に興奮したものです。1998年4月、進学で上京する事になり地元を離れる時に私自身がブルートレインの乗客になりました。出発した列車の窓から安全確認していた車掌さんに父が「娘が上京します。よろしくお願いします」と声を掛けると、丁寧に敬礼してくださったそうです。忘れられない思い出になりました。色々な人の人生に触れて来たブルートレインがなくなってしまったのは何とも寂しいものですね。
この動画に対して色々なコメントを寄せてもらってますが、人生の大事な場面に”ブルートレイン”が存在したという言葉を頂くことが度々あります。特に九州に在住する方が移住のため東京に旅立つ際に利用した寝台列車が、新たな旅立ちに重要な役割を演ず、そんな存在であることをmeshiya Ura様のコメントにみたような気がします。一生忘れられない思い出を作るための存在として、身近に利用できたブルートレインがなくなったという喪失感は如何ともしがたいですね・・・。
拍手がすごく良い…泣ける
よく聞くと、撮影者も泣いてるのがわかる。もちろん、私も。
放送が終わった直後、誰彼なく自然に拍手がわき起こりました。心に残る感動の出来事でした。
オルゴール必死の抵抗
私もこれ乗ってました。最初で最後のブルートレインでした。「半世紀に渡り・・・」というフレーズが記憶に残ってました。録画されていた方がいたんですね。ありがとう。でも、泣かすなよ。
20系ブルートレインが誕生した際、満を持して出発したのは東京駅。そして東京駅に乗り入れる最後のブルートレインとなったのがこの列車でしたね。半世紀に渡り歩み続けたブルートレインの本当に最後の瞬間に立ち会えたことはとても貴重な、そして忘れられないひと時であったのではと思います。横浜駅を出発してピンと張り詰めた車内で録画したこの動画は、ずっと残しておくべき映像としてこれからも皆様に見て頂けるようにしてゆきます。同じ列車に乗車して、あの感動を共有できた方にコメントを入れていただけたこと嬉しく思っています。
この放送を聞いて泣いた、ありがとう、ありがとう富士、はやぶさよ永遠に…。
今でもこの車内放送のことを思うと胸が熱くなります。「寝台特急 富士・はやぶさ」の復活が実現することを願いたいですね。
放送終わってからのセレナーデ、汽笛、拍手が最高。
下関駅で見送りの姉と別れ、これに乗って進学とともに東京に上京してきたあの日が懐かしい。寝台座席上下に乗り合わせ、深夜まで夢を語りあった同じお上りさん。「日本のどこかに私を待っている人がいる〜」。当時は「東京に出る」というだけで、なんだか「選ばれし者」のような優越感を感じていた。風景に写り出される京浜東北線の蒲田、大森、大井、品川、田町各駅の様子も35年前とそう変わらない。そして人生を彩ってくれた多くの人々を思い出す。懐かしいな〜下関、ありがとう、青春のブルトレ…。
私も上京する時はいつもお世話になっていたブルトレ。熱海の海や大船の観音様を見て”東京来たなぁ”といつも思っていました。東京~九州のブルトレが廃止されて久しいですが、この動画が懐かしき思い出を呼び起こすことになって良かったです。
マウンターおるな😉
あれからもう8年なんですね……。時々見に来ていますが、最後の悪あがきの如く鳴り止まないハイケンスのセレナーデ、乗客と沿線の皆さんに向けて別れの挨拶をするように鳴る汽笛に泣かされています。ブルートレイン、もっともっと乗りたかったです。
8年の時の歳月というものは、長いようで短いように感じます。定期列車として走るブルトレにはもう二度と出会うことが出来ないですが、日本各地に静態保存された「ブルトレ」には泊まることができて、辛うじて思い出にふれ合う機会が残されたことが何よりだと思っております。タイで今も活躍している元ブルトレ達は毎日定期運行ということで、活躍の地は変わりますが、懐かしの「あさかぜ・瀬戸」を体験できる貴重な列車が海外に居ることも幸いですね。(マレーシアではJR九州の元ブルトレが活躍しているようです)
さよなら放送に合わせるかのような哀愁を誘う汽笛・・・シーンと静まりかえった車内で聞こえてくるのはジョイント音。車内では涙を流す人もいて、乗車した人でないと体験できない感動のシーンをこの映像で感じて頂ければ幸いです。寝台列車・・・いつまでも無くならないで欲しいですね。
何度も響くホイッスルとオルゴール…『定年退職』というか、車内放送も『退職』。後進に道を譲る最高の職人魂というべきですね。車内放送を聴いて沸きあがった拍手…まさに職人といえる鉄道員に対して最高の賛辞だと思います。
そりゃあ そこら中に撮り鉄が居たら汽笛も鳴らすよ
コメントありがとうございます。他の動画に「思い出の寝台特急はやぶさ・富士」をアップしてます。九州行ブルートレイン廃止直前の画像を多く出していますが、今見ると少々懐かしささえ感じるようになりました。
いいねぇ。プロフェッショナルと哀愁、味わう乗客が織りなすハーモニー。
やはり安さを求めた高速ツアーバスは案の定、重大死亡事故を起こしました。ブルトレは安全な乗り物だと確信しました。なぜ、ブルトレをなくすのかわかりません。
儲からないから。儲けるなら一泊¥50000~100000取らんと。そうなると鉄ヲタしか乗らないから更に値段上がるな😉
何回も見ましたがその都度泣けてくる。機関車も沿線のファンに向け鳴らしてくれている。
到着が2時間以上も遅れてラストランのはやぶさ、富士は東京に到着したんですが、沿線の皆様は最後の勇姿を見るためにずっと到着を待っていました。機関車は沿線の皆様に沢山の警笛でお別れの挨拶をしているようにもみえますが、その光景はまるで機関車に「魂」があるのではと思ったことを懐かしく思い出しました。
放送の内容もさることながら、オルゴールのトラブルが逆に哀しさを誘います。僕は子供の頃に何度も母親とブルートレインを利用したので、あの独特の空気感を今でもありありと思い出します。もうあの空間が無い、と思うと胸が締め付けられる思いです。
寝台列車という独特の空間が、現実の世界から消え去る時期が徐々に迫ってきました。寂しい限りですね。
とても郷愁を誘う汽笛です。
ラストランとなったこの列車、ずっと何度も汽笛を鳴らしてくれました。はやぶさ・富士を牽引する機関車の直ぐ後ろの車両にいましたので、ずっと哀愁ある汽笛を聞いていたんですが、”まだ頑張れるぞ!”と言っているようでした。
泣かせないでくれ。。
アナウンス終了後の乗客からの拍手に感動
アナウンス終了後誰かれなく拍手が沸き上がりましたが、この拍手がより一層感動と感涙を呼びました。
客車自体にも心が宿るのでしょうね。毎日人を運び続けた記憶を忘れないで下さい。と客車からの最後のメッセージなんでしょうね。
ラストラン列車は、まるで魂があるかのように”必死に”訴えかけている客車だったように思いました。
まだまだやれる...何度も鳴り響くオルゴールが別れを惜しんで泣いてるようにも聞こえますね。
4:15前後に汽笛を鳴らして大井町を通過していますが、この時ホームに居ました。感動したな~…。この時車内では拍手が起こっていたのですね、貴重な映像ありがとうございました。3/14の東京行きラストランは事故の影響で大幅に遅れてきて、駅のアナウンスで「ただいま蒲田付近を通過しました」などと案内されていました。牽引機はEF66 42号機、大井町通過は11:27頃でした。車窓に映っている209系も、この約半年後に京浜東北線からは全車引退してしまいました。
今の無機質な列車に比べたら本当に暖かな時代をはしりつづけた列車でしたね、日本の成長期を走り続け全うした列車に感謝しつつ今の時代を走り続ける列車達に期待をしつづけたいと思います。
昭和から平成にかけて走り続けたブルートレイン達も既になく、毎日黙々と夜行列車として走り続けた時代は終わってしまいました。令和になり形を変えた夜行列車(というより観光列車)がブルトレのスピリッツを引き受け走り続ける時代が到来したことがせめてもの救いなのかもしれないですね。
小学生時代、両親の故郷の鹿児島に行くために毎年夏休みに乗りました。夕方に横浜駅を出て翌日の昼過ぎに川内駅に到着。車内放送のオルゴール音を聞いたら懐かしさがこみ上げてきて思わず涙。楽しかったなぁ~
終着放送の前のハイケンスチャイムが「まだまだ辞めたくないよ」と聞こえた様なそして放送終了後の乗客の拍手が感動です、牽引機の汽笛も最後のブルトレ牽引か寂しく悲しく聞こえた。
生で見たこともないのに、泣けてきた。
いつ見ても、ラストランの”あの感動”を皆さんと共有できるよう投稿した動画です。「はやぶさ、富士」に続いて廃止された寝台特急「北陸」、そして廃止のカウントダウンが聞こえる「北斗星」や「日本海」など、別れを告げる”ラストランの放送”を聞く日がやってきてしまうことは、本当に寂しいことですね。コメントを頂きありがとうございました。
今から12年程前だったと思います。岡山から東京まで帰る際、最終の新幹線だか夜行バスだかに間に合わず(詳細は忘れました)、仕方無く「はやぶさ」で帰ったことがあります。まだ若くお金が無かったため、B寝台でも「チケット高いなぁ~!」と思ったのを覚えています。「B寝台」と書かれた扉を開け通路に入ると、車両は閑散として静まり返っていました。同室の方も誰も居ませんでした。用意されていた浴衣に着替え、常に震度5ぐらいの揺れの中「なかなか寝付けないなぁ…」と思いながらベッドに横たわりつつも、なかなか機会の無い体験にワクワク。そして、いつの間にか夢の中へ…。気が付くと、既に外は明るく、次は終点、東京でした。大慌てで着替え、サラリーマン風のおじさま方に混じりつつホームに飛び降り、1度家に帰ってから急いで仕事に行きました。当時は列車などにはあまり詳しくありませんでしたが、今思うと本当に貴重な体験でした。長い間お疲れ様でした。そして、思い出をありがとう。
素晴らしい動画を有り難うございます。他の方も書いてましたが、永久保存版です!
この動画はずっとyoutubeに残しておくつもりです。いつでもあの時の感動を見て頂けるように・・・。
案内放送の終了に合わせるように鳴らされる警笛がとても印象的でした。
昭和50年、高校3年の東京インターハイで九州別府から富士寝台特急で上京したのが懐かしい。涙です。
車掌さんと乗客の心をいただきました!哀愁漂う日本の文化を見ているようです!感動をありがとうございました。(泣)
この放送、泣けるな!😿
あまりの感動で泣きながら見させて頂きました🥲大変貴重な映像ですね。自分が乗った気分になってましたよ!私は日本海しか乗ったことがありません!織田車掌の最後まで職を全うする姿勢に感動しました。最後のアナウンスで 『これで皆様とはお別れになります』がカッコ良すぎてこの歳になっても車掌に憧れますよ。NHKでもUPされてますが、織田車掌の最後のご挨拶をすべて聞けたのでよかったですよ。今頃ですが...ありがとうブルートレインお疲れ様織田車掌❗️
このラストラン列車に乗車していた時の情景は今でも忘れられない光景ですが、その臨場感はこの動画でもお伝え出来ているのでは思っています。意思が有るような機関車の汽笛、まだ頑張りたいと必死に伝えようとしているように見えるハイケンスのセレナーデのオルゴール。そして職を全うするような感動のラストランアナウンス。この動画を撮影した本人も、時々この動画をみていまだに感動を頂いています。
最後を飾るクラクションも味はあります。改めて寝台特急は電車運転ゲームでは語れない永遠に忘れない特別列車だと思います。
感動しました。汽笛は、沿道にファンの群れが見えるたびに鳴らしているんですね・・・。
とても素晴らしいファンサービスでした。なんとも言えない郷愁を誘う汽笛が”泣いている”ように聞こえるというコメントを以前頂いたことがありました。確かに”悲しげ”に聞こえる汽笛にとても感動したことを今でも良く思い出します。
本当に、自分が、帰省の時に何度も乗ったので、思い出があります。動画投稿してくださりありがとうございました。
最初のオルゴールはこわれたんじゃないですよ。オルゴールも最後だから一矢報いたんですよ。
オルゴールもきっと感傷的になっていたことでしょう・・・。
EF66の哀愁のこもった長い汽笛に泣かされます。。子供のころからたくさんの寝台列車に乗ってまいりました。関西地区在住のため東海道ブルトレは「はやぶさ」「あさかぜ」しか乗車できませんでした。現在、夜行列車が激減し本当に寂しい。ブルトレ全盛時代は世の中もおおらかで、良い時代でした。24系の生き残り「北斗星」「あけぼの」そして急行「はまなす」がんばれ!
おおらか過ぎて○漢なんか犯罪扱いされなかった😭
車掌さんJR西日本って言いました? 私は最終下り列車を静岡で見送りました。あれから5年が経ちましたか・・・・・・・・・・・。時がたつのは早いですね。「富士」という列車名は廃れることなくリニアに受け継がれてほしいと私は思います。 最後に聞いたEF66-53号機の警笛が鮮明に記憶の中に響いています。正に泣いているようでした(泣) でも、東京発九州行きの最終ブルトレを見送ることが出来たことが最高の思い出です!
織田車掌さんお疲れ様でした。
お疲れ様、富士、はやぶさ号ありがとう❗
また、この時代が必ずくる来ることを信じている!
絶対来ない😉
車内では、多くの方がこの放送を聞いて涙を流していました。
引退するのが早すぎる!この放送、永久保存版や!
ブルートレイン富士乗れなかったのは残念だったけど今まで45年間、たくさんの思い出、夢と希望をありがとう‼️そして、さようなら。さくら、はやぶさ、みずほ、あさかぜ、瀬戸、出雲、彗星、金星、明星、銀河、あかつきたちもたくさんの思い出、夢と希望をありがとう。さようなら、長い間のご活躍ご苦労様でした。
栄光のブルートレインを偲ぶことが出来る場所が全国に数多く残り、夢と希望を乗せた名列車にふれる機会が残されたことは何よりだと思っています。
NHKでの鉄道ラストランで出ていた小田さん。声でわかりました。老朽化とはいえブルートレインが廃止になるのは残念です。ハイケンスのセレナーデと66の汽笛が最後になるのを知らせてくれる様何回も聞こえ奏でてるのは残念です!
まるでブルトレに意思があるかのように聞こえるオルゴールでした。まだ頑張りたい・・・そう聞こえました。
このラストラン乗った時まだ3歳でしたラストラン車内放送を聞いて涙が溢れてティッシュ1こ使い切ってしまいましたブルートレインお疲れ様ですどうか生まれ変わってもお元気で
このラストランの乗車は一生忘れられない貴重な体験となりました。コメントを拝見すると「幼少の頃にこの車内放送を聞いて涙した」とありましたけど、その他の乗客も多くの方が涙していたことを昨日ことのように思い出します。この動画は私がyoutubeで活動している間はずっと残しておきますので、いつでも「あの感動の車内」を追体験しにお越しください。
まだまだ頑張れるぞ!と叫んでいますね。
一生の思い出に残る感動の瞬間でした。
もう廃止されて11年…小さい頃大森の線路沿いに観に行った憧れの列車でした。追体験させてくれてありがとう。
東京駅へやって来るブルトレの最後の歴史をいつでも追体験できるよう、この動画はずっと残しておきます。またいつでもお越しください。
2時間近く遅延して東京に向かう「はやぶさ・富士」をずっと待ち続けていた沿線の皆様をずっと車内から見続けていました。そして、クライマックスとなるこの「東京到着の案内アナウンス」の放送が終わる頃、ちょうどmirakun583様が待ち続けていた大井町駅を通り過ぎてゆきました。アナウンスの終了とほぼ同じタイミングで汽笛が何度も鳴り響いたこと、車内では拍手、そして感涙されている方々…鮮明に思い出すこの情景、一生の宝物です。
あらためて特別の重みを感じます。沿道でラストランを見守る人々の思いも伝わってきます。動画を残してくださってありがとうございます。
東京行き「はやぶさ・富士」のラストラン案内放送をyoutubeで見られるのは唯一この動画だけのようです。NHKの番組でもアーカイブスで同列車の映像を今でも見ることが出来るようですが、いずれも貴重な、そして最後の輝きを見せるブルトレに対しての惜別を表す動画なのではと思っております。
恐らく史上最高の多くの人々がラストランの日に集ったのではと思います。特別な瞬間を多くの方々と過ごしたことがとても良い思い出になっています。
悲しく連続して聞こえてくる汽笛・・・最後の車掌さんのアナウンスで、涙が止まりません。ありがとう、はやぶさ号。
もうしばらく続く夜行列車の廃止。その度に心が痛みますね・・・。
時代の流れは時に素晴らしいものを奪っていくのだとつくづく思いました。ついにブルートレインも全廃する方針みたいです。一ファンからいうと「せめて一往復でいいから残してくれ」という気持ちがありますね。
時の流れに抗うことができない運命のブルートレイン。何らかの形でブルトレの定期列車を残して欲しいと私も思います。
EF66のホイッスルが泣いているように聞こえるのはみなさん同じみたいですね。ハイケンスの機械式オルゴール(だったんですね最後まで。私は電子式チャイムに置き換えられていたと思ってましたが)が何度も鳴って止まらなかったのは何かを訴えているかのようにも感じます。私は東京発ブルトレには何度か乗車しましたが、九州入りはできませんでした。今考えるとどうして西鹿児島まで行っておかなかったかと、そしてもっと乗っておかなかったのかと悔やまれてなりません。今はせめてもの想いで、北斗星にせっせと乗っています。Wikipediaには新幹線開通後も当面存続されることが決まっているとありますが、車両老朽化を考えると、そう永くは無いでしょうから。貴重な映像どうもありがとうございました。
九州方面に行くブルトレが全廃になるという報道があって、俄然注目されるようになった寝台特急はやぶさ・富士。飛行機との時間、運賃競争に勝つことが出来ず魅力を出せなかったこの列車の廃止報道前は、乗客が乗っていない車両が連なる、まさに”空気輸送列車”でした。日陰で頑張ってきた名列車が最後の錦を飾る時の映像がこの動画ですが、ご指摘のように”泣いているように”聞こえ、まるで列車に感情があるように思えますね。「もう少し頑張っていたかった」と・・・。昭和の良き時代を伝える北斗星の存続が決まっているのは嬉しい限りです。できる限りの活躍を期待したいですね。
自分はブルトレに乗ったことないけど、隣あった知らない人と話し合ったり、飲んだりとかって、いい話だなと思う。中にはそれが縁で、その後連絡を取り合ったり、付き合ったりという人もいたと思う。これが本当の人と人とのコミュニケーションなのだろう。新幹線や飛行機では、そんな醍醐味を味わうことはない。しかも現代は、みんなスマホばかり見ていて、他人は関係ないと。何だか、つまらない時代になってしまったな。人としての温かみも何も無くなってしまった。
さて、今日はどんな乗客と九州から東京までご一緒するのかな?まさか女子?なんて妄想を膨らませながらB寝台のベットに向かうワクワク感が昔ありました。相部屋?となった乗客から差し入れのお菓子もらったり差し上げたり、老夫婦とご一緒した時は旅の思い出話を沢山聞いて、車内が減光(夜行列車にだけあった照明の操作)しても静かな声で話続けていたり・・・、振り返ると旅の醍醐味が存分にあったブルートレインでした。また、あの「ふれあいの旅」が復活しないかなぁとひそかに思ってます。
この動画に対して「一言で言う! 永久保存版や!」というコメントを8ヶ月程前に頂いたことがあります。再び永久保存版”感動のコメント”を頂き、本当にありがとうございます。
EF66の汽笛がさよならそしてありがとうって66が言っているように自分は聞こえる。
私は上京の時、何度もこの”ブルートレイン”に乗ってきました。九州から東京へ向かう寝台特急「あさかぜ」や「みずほ」「さくら」、そして「はやぶさ」。幾度となく乗ってきた九州発東京行き寝台特急のラストランとなる”はやぶさ”には、特別の思い出が残りました。
あれから15年 現在は寝台特急がサンライズのみとなりました。ブルートレインはこれからも永遠の大切な宝物
一言で言う! 永久保存版や!
何で、定期の九州ブルートレインに乗らなかったのだろう...。と何時も何時も悔やんでいます。その悔いを少しだけでも無くす為に、毎度毎度の鉄道利用を大切にして参りたいです。今更ながら、はやぶさ・富士、ありがとう!!そしてこれから姿を消す、あけぼの他数列車もありがとう!!!
そうですね。北斗星・カシオペア・トワイライト~(・はまなす)も何とか両親や祖父母に御願いして乗りたいです!!
リアルに、乗ってました。この放送、録音してました。
ブルトレ、懐かしいなぁ自分のパソコンの壁紙にしてる。ラストランの何日か前の横浜上り駅撮り。スマホでも使う時期ある。スマホの着信音はハイケンスのセレナーデチャイム(取り込んだmp3)。やっぱり乗った時のことを思い出す。さくら下りあさかぜ2号富士下りあさかぜ4号(食堂車ラスト)北斗星6号いい思い出です。
50目前のおっちゃんですが小学生低学年だった昭和51~52年頃は東京駅や上野駅へ行くと両手で数え切れない程、寝台列車は発着してました。大きくなったら、全列車制覇してやるぞと子供心に思ってました。それから20年くらい後の1990年代後半から2000年代前半の頃、小学生の頃の半分にも本数は満たなくなっていましたが趣味の旅行の時は使っていました。「あさかぜ」、「出雲」、「富士・はやぶさ」、急行「銀河」、「あけぼの」、「はくつる」、「北陸」、「なは・彗星」、「なは・あかつき」また「きたぐに」、「だいせん」、「日南」、「能登」、「大雪」、「まりも」、「利尻」など客車ではなくても魅力的だった夜行列車たちも過去帳入りしてしまいましたね。15年くらい前までは今書いた列車達は健在でした。それらに乗車できたことは良い思い出として残っております。
上野駅地平ホームの佇まいは昭和50年代頃より大きく変わってないような印象ですね。私も「ひばり」「みちのく」「とき」「あさま」といった昼行、夜行列車が屯していた頃に生まれて初めて上野駅での駅撮りをした思い出がありますが、次々とやってくる特急列車・寝台列車に”ワクワク”しながら必死に撮影をした頃が懐かしいです。カガッチィー様の思い出に残る夜行列車達も今では跡形もないですが、この動画では在りし頃の夜行列車「はやぶさ」を何時でも見て頂けるようにしています。
泣けるじゃねぇか、、。
ブルートレイン、単に好きだというだけでなく、なにげに便利だった。最終の新幹線より遅く出て、朝一の新幹線より先に着くから、1日力一杯遊んだのもなつかしい。サンライズは大切に守っていこう。
本来ブルトレは深夜に陸路を移動できる便利な乗り物で「動くホテル」と言われて重宝がられていた筈が、新幹線や飛行機との競争に打ち勝つことができず静かに姿を消してゆきました。サンライズは、この面でまだまだ十分対抗できる貴重な寝台特急ですので、ずっと残って欲しい列車ですね。
kirin0825 十年以上前、まだサンライズがデビューしたころの「旅と鉄道」で 、あえてブルートレインで修学旅行に行く高校がでていたのですが、その学校の校長先生のコメントを思い出しました。新幹線や飛行機のほうが速いし、快適だけど、夜中に働いている人の姿を生徒に見せたい、そして働くことの尊さを感じてほしい というような内容だったと思います。ブルートレインとともにそういう考え方も消えてしまうとしたら寂しい。この映像がいつまでも残って、この列車を動かしてきた方々に思いを馳せるきっかけになってほしいと思います。ありがとうございました。
東京~福岡でも、最終の新幹線🚅よりも後の飛行機✈️でその日のうちに到着できるけど😉
この動画を見て、車掌が告げる最後の車内放送を聞くたびに、胸が高まる思いです。2005年あたりまでは、「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」の、4つの東京行きブルートレインが運行されてきましたが、新幹線や航空機に客を取られた関係か、次々とブルートレインが消えてゆく中、この残されたの2つの東京行きブルートレインが2009年3月14日に廃止されたことには、鉄道ファンの私にとって、とても残念であり、特にこの「富士」には私が1度は乗ってみたかった列車の1つでした。 現在は「さくら」と「みずほ」が九州新幹線に、「はやぶさ」が東北新幹線〔E5系車両専用〕に使用されていますが、この「富士」だけがJRの列車名から消えて、何だか名残惜しい感じがしてなりません。 廃止されたどのブルートレインにも、上記のような「名残」がありますが、この「富士」だけは「名残」の灯火が消えてほしくないと願うばかりです。
伝統の列車名”富士”のトレインマークが、いつか復活することを願ってます。
本当に小さい子供の頃に母親の田舎に行くのは富士でした非日常でブルートレインはワクワクした記憶がありますそれが博多まで新幹線が行くようになり(ひかりですけどね)今となっては飛行機の方が早くて安い小学生の音楽の授業で聞きた「夜汽車」という曲いつも家から聞いている夜汽車の走行音を聞きその汽車に乗ってみたい!そんなのは、今ではないんですかね
九州に夜汽車で出掛けるというチャンスは無くなりましたが、辛うじて北海道方面にはブルートレインで旅をすることができます。夜汽車の雰囲気は独特で、風情ある列車が消えてゆこうとしてることは寂しいことですが、クルーズトレイン「ななつ星」みたいに”これからの新しい寝台列車”も登場していますので、まだまだ日本の鉄道で「夜汽車の旅」を楽しむことは出来そうですね。
放送が一通り終わった後、車両センターを通過する辺りで微かにすすり泣きされている方の声を収録しています。機関車の次の車両だったこの11号車では、全ての乗客が鉄道を愛する方々だったと記憶しています。愛ゆえか拍手の後に涙する方も多くいらっしゃいました。
この動画を見る度に、東京へ向かう最終のブルトレ車内で体験した感動を思い出します。
2009年子供の頃よく乗ったはやぶさ(他にも、みずほ、明星、なはも利用してました)が無くなって、時を同じくして東北に仕事で異動したところ、自宅横を日本海が走っているのに気がついて、帰省時はいつも利用していました。(きたぐにも利用してましたが)そして、東北の地を去る事になった2012年3月、日本海ときたぐにも廃止となってしまいました。この動画はずっと後世に残しておきたい、そして、見たい時にいつでも見れる動画であって欲しいです。貴重な動画ありがとうございました。
この動画は、いつまでも皆様に見て頂けるようずっとyoutubeに残すつもりです。ラストランは、あけぼの、北斗星、トワイライトエクスプレスとこれから毎年のように続いてしまい残念ですね。時代の流れに抗うことはできない運命のブルートレインですので、現役で活躍している間はしっかり記録に残す活動をこれからも続けていきたいと思っています。
小学生の頃、大井町駅を通過して行くブルートレインの姿がとても印象深く残っています。ホームのひとつ奥の線路を走り抜けて行くんだったかな?『ブォォーン』という機関車の轟音があり、その後ろが機関車に引っ張られているブルートレイン。ガタンゴトンの音がとても速く、子供ながらにその力強さに圧倒されたのを覚えています。いつだったか、走り去るブルートレインに手を振ったら機関車の運転手さんが手を振りながら汽笛を鳴らしてくれたのにはとても興奮したのを覚えています。大人になった今でも、この動画を見ると子供の頃に見た記憶が甦ってきます。特に電車が好きだった訳ではなかったですが、ブルートレインだけは特別憧れていました。乗った事はありませんが、これほどの存在感溢れる列車は、ブルートレインにしかないのかなと思いました。
全盛期の面影は見られなくなりましたが、品川車両基地には多くのブルトレ、そして牽引機がずらりと並び、旅情をかき立てる景色がありました。九州や本州各地域と東京をひとつに繋ぐブルートレインの存在感は大きかったと思っています。この動画でも丁度「大井川駅」を通過するタイミングで汽笛が鳴り、最期の勇姿と相まって”感動の鉄道旅”となりました。走り去るラストランのブルートレインに多くの人が手をふってくれていましたが、きっと運転士の皆様もそれに応えて手を振ってくれたんだと思ってます。
ブルートレインが走ってくる音って通勤電車のそれとは違って独特で、小学生の頃は線路脇で「次に来るのはブルートレインだ」と言いながらよく眺めていました。走り去るブルートレインの行き先 長崎、佐世保、西鹿児島、宮崎と言った遠く離れた九州の地名を見て胸を熱くしていた頃を思い出すと自然と涙が出てきます。
wildshark1970 さん、ご無沙汰しております。この車内放送が終わった後、自然発生的に沸き上がった拍手の賛辞でしたが、一緒に拍手しながら心より感動したことを思い出します。これからも日本海、あけぼの、北斗星…後に続くかも知れないブルートレインのラストラン。その時もこの動画と同じような感動の場面があることと思います。
ガチで泣いた
素晴らしいです!やっぱ寝台列車は趣がありますね!私、青森なので富士号には乗車したことはないのですが、ブルトレの代名詞であった富士号には乗りたかったです・・・(はやぶさ号は予期せず新幹線と進化して東北の地を走るとは・・・)今は残り少なくなったブルトレ、「あけぼの」号を私は全力で応援し、利用します!
幼い頃に乗った記憶がよみがえる.....76~81~66でバトンタッチしていた頃、機関車の誘導する人に憧れていたことも。
若い頃一度だけ乗った、新幹線もいいけど寝台特急もいい
日本列島を東へ西へ、日本の歴史の一ページを飾ったブルートレインに本当に感謝しています。
着メロ用にハイケンスのセレナーデを作ろうと思って探していたところ、この画像を見ました。皆さんのコメントの通り感動しました。この車掌さんはまだ現役なのでしょうかね。素晴らしい、感動です。また、最後JR西日本の車掌として安全第一で締めくくるこの車掌さんの悔しさや心意気が伝わり、さらに涙しました。何度も鳴るホイッスルもたまりませんね。kirin825さん貴重な映像ありがとうございました。
機関車も盛んに泣いてるねえ(T_T)
まるで感情があるみたいですね。
日本に生まれて良かった。
こういう列車は中国🇨🇳の方が隆盛だよ😉
寝台特急乗りたかったなぁ。新幹線もいいけど、新幹線に寝台特急ほどのロマンはないよな。
寝台特急、復活して欲しいですね。
確かに新幹線にロマンはない!リニア新幹線も開業当初はロマンがあるだろうがすぐに廃れるだろう。新幹線もリニア新幹線も景色を楽しむ余裕がないためロマンがないように感じる、
サンライズも車両更新が無ければ数年後引退になるのかなぁけどやっぱりELに牽引された寝台車に乗りたい
悲しすぎる廃止の理由が解らないこんな合理的な乗り物を。
合理的な価値のある乗り物を廃止せずに済むよう施策をもう少し早くしていればと考えると悔やまれます・・・。
朝起きたら目的地の寝台列車。新幹線の日中の退屈な数時間・・・。どっちがいいか、解るよね。短時間でしたが、大阪から防府までこれに何度も乗ってました。
オルゴールは壊れたんじゃない。最後だから思う存分鳴らしたかったんだと思う。そして、その後の感動的な車内放送で、もう涙腺崩壊。これほどまでに感動的なラストランは他にあるだろうか……。
まるで魂があるかのように思う存分に鳴り響くオルゴール。この涙腺崩壊の車内放送をラストランのブルトレの中でずっと聞いていましたが、本当に心に響く感動の放送だったことを昨日の出来事のように思い出します。
209系なつかしい…そして感動した。
丁度、ラストランを記念する案内放送が終わった直後に”寂しげな”汽笛がなりました。EF66の運転士がこの放送を聞いて、放送に応えるように汽笛を鳴らしてくれたように感じました。
無粋なことを言うと、機関車の中に車内アナウンスは入ってこない。しかし逆に言うと、乗務員の思いが起こしたささやかな奇跡、とも思われますね。。。
2時間近く遅れて到着したブルトレを待ち続けた皆様に”盛大に”汽笛のサービスをしていたラストラン列車。不思議なことに”感動の案内放送”を聞き遂げたその瞬間に「寂しげな汽笛」という歴史の最後を締めくくるに相応しい演出を体験することになりました。乗務員の皆様の想いと乗客の想い、そして見送る沿線の皆様の心が一つにつながった歴史的瞬間を動画に残せたのかもしれません。
このあとも良い旅をっていい言葉だなぁ
オルゴールの故障もブルートレインならではだと思っています。ブルートレインは子供たちの憧れであり、おじいちゃんおばあちゃんの青春時代を思い出させる貴重な鉄道遺産だと思います。放送終了後の拍手で、ブルートレインはどれだけ愛されていたのかがわかりますね。
放送が終わった瞬間の汽笛と拍手、感じるものがありますね~。
自分が最後の学生生活を終え、最後のホームルーム。冒頭のハイケンスのセレナーデを何度も流して、少々の思いで話をしてありがとう○○高校、さよなら3学年と言って旅だった。次の日、東京へ卒業旅行。このEF66を撮影。老朽化とは思えない車体だよねとカミさん(当時は自分の彼女)が言った。そう見えてものう、機器類は老朽化してるんよと答えたのを思い出す。
ラストランを務めたEF66も見た目には全然「草臥れた」感じがしない状態でしたが、実は満身創痍の状態だったのかもしれないですね。この動画が「カミさん(当時の彼女)」との懐かしい思い出にふれることになっていたらとても幸いです。
機械の老朽化や自分自身の老朽化にも勝てない。でも蒸気機関車が今でも走っていることだけでもありがたい。三菱や川崎などといった日本の重工業のバイオニアが製造した車両は頑丈で、もしそれらのメーカーがなかったら鉄道そのものもないと言えよう。
これよりかっこいい列車はない
多分、今の若者は、E5系「はやぶさ」の方がかっこいいと思ってるよ😉
ごめん🙏ブルトレの方がかっこいいと思う
ブルートレインという存在が、人生に大きく関わっているということをコメントを拝見して改めて痛感しました。行きでなく宮崎への帰りに"富士"に乗車ということは、賑やかな東京を離れどんどん寂しくなる車窓を眺めながらの旅だったと思いますが、かなり辛かったのでは?大切な思い出を振り返ることに、この動画がお役に立てて良かったと思います。
これももう4年前ですが、小田車掌が12系の山口DC号に乗られていて感激しました!
この感銘のラストラン案内放送を務めて頂いた小田車掌が、万感の思いを込めて「無事故で旅を・・・終われることにとても感謝しております」と詰まりながらも話しかけてくれた言葉を聞くと、今でもあの時の心からの感動を鮮明に思い出します。
今でも視聴可能なNHKオンデマンド番組「特集 ドキュメント にっぽんの現場 寝台特急 ラストラン ~人生を運び続けた半世紀~」において、小田車掌がこの動画で紹介したラストラン案内放送を入れている時の姿を映像で偲ぶことができます。
4年前の12系山口DC号に乗車されていたんですね。もう引退されたんでしょうか?
廃止がアナウンスされる前は人気がまるで無かった寝台特急「はやぶさ・富士」。廃止2~3年前では編成中”B寝台”2~3両は乗客無人が当たり前でした。
スーツ様の人気動画「私だけの列車シリーズ?」企画を地で行くような「乗客私だけ一人・1両貸切でゆく寝台列車」を何度も経験し、その道中で小田車掌とお会いしていたのかもしれません。それも遠い思い出になってしまいました。
コメントを頂き誠にありがとうございます。いつも投稿動画楽しみにしております。九州での企画の際は、時々人気動画に相乗りさせて頂いてます。感謝しております。
特集 ドキュメント にっぽんの現場 寝台特急 ラストラン ~人生を運び続けた半世紀~
facebook.com/NHKarchives/posts/738301049571035
12年前の動画に本物キターw
自分も富士はやぶさに家族で乗車したとき、優しい小田車掌とお話させて頂いたのは良い思い出です!
本物で草
小田車掌でなく織田車掌になりますね
しかしブルートレインはまたどこかでいつか復活してほしいです。
客車寝台特急として
この汽笛・・・泣けるっっ!! 汽笛が哀愁を誘う。。。そういうことって大事ですよね。。。無くならないでほしいな。
心なしか、このオルゴールのトラブルはこの客車からのお別れの挨拶にも聞こえます。
「まだお別れしたくない」という精一杯のメッセージだったのかもしれません
また、聞こえる機関車の警笛も別れを惜しんでいるようにも感じられます。
このコメント泣けました
「鉄道車両はただの人を運ぶ鉄の箱なんかじゃない。人々の想いや歴史を具現化した生き物だ。だから撮る価値がある」というのが自分の持論ですが、「昭和から続いてきた毎日」の終わりの日にこの機関車&客車が泣いているかのような現象はまるで奇跡です。だからこそ、鉄道をただの箱と思わず大事にしてほしいという気持ちがあります。
電機もサヨナラ行ってますね撮り鉄多いからか
キチンと、さよなら放送が終わってから、拍手してますね。
素敵です。
高校時代、部活で帰宅が少し遅くなった時にホームに止まっているブルートレインをよく見かけました。私達が手を振ると車掌さんが敬礼を返して下さり、その度に興奮したものです。
1998年4月、進学で上京する事になり地元を離れる時に私自身がブルートレインの乗客になりました。出発した列車の窓から安全確認していた車掌さんに父が「娘が上京します。よろしくお願いします」と声を掛けると、丁寧に敬礼してくださったそうです。
忘れられない思い出になりました。
色々な人の人生に触れて来たブルートレインがなくなってしまったのは何とも寂しいものですね。
この動画に対して色々なコメントを寄せてもらってますが、人生の大事な場面に”ブルートレイン”が存在したという言葉を頂くことが度々あります。特に九州に在住する方が移住のため東京に旅立つ際に利用した寝台列車が、新たな旅立ちに重要な役割を演ず、そんな存在であることをmeshiya Ura様のコメントにみたような気がします。
一生忘れられない思い出を作るための存在として、身近に利用できたブルートレインがなくなったという喪失感は如何ともしがたいですね・・・。
拍手がすごく良い…泣ける
よく聞くと、撮影者も泣いてるのがわかる。
もちろん、私も。
放送が終わった直後、誰彼なく自然に拍手がわき起こりました。心に残る感動の出来事でした。
オルゴール必死の抵抗
私もこれ乗ってました。
最初で最後のブルートレインでした。
「半世紀に渡り・・・」というフレーズが記憶に残ってました。
録画されていた方がいたんですね。ありがとう。
でも、泣かすなよ。
20系ブルートレインが誕生した際、満を持して出発したのは東京駅。そして東京駅に乗り入れる最後のブルートレインとなったのがこの列車でしたね。
半世紀に渡り歩み続けたブルートレインの本当に最後の瞬間に立ち会えたことはとても貴重な、そして忘れられないひと時であったのではと思います。
横浜駅を出発してピンと張り詰めた車内で録画したこの動画は、ずっと残しておくべき映像としてこれからも皆様に見て頂けるようにしてゆきます。
同じ列車に乗車して、あの感動を共有できた方にコメントを入れていただけたこと嬉しく思っています。
この放送を聞いて泣いた、ありがとう、ありがとう富士、はやぶさよ永遠に…。
今でもこの車内放送のことを思うと胸が熱くなります。
「寝台特急 富士・はやぶさ」の復活が実現することを願いたいですね。
放送終わってからのセレナーデ、汽笛、拍手が最高。
下関駅で見送りの姉と別れ、これに乗って進学とともに東京に上京してきたあの日が懐かしい。寝台座席上下に乗り合わせ、深夜まで夢を語りあった同じお上りさん。「日本のどこかに私を待っている人がいる〜」。当時は「東京に出る」というだけで、なんだか「選ばれし者」のような優越感を感じていた。風景に写り出される京浜東北線の蒲田、大森、大井、品川、田町各駅の様子も35年前とそう変わらない。そして人生を彩ってくれた多くの人々を思い出す。懐かしいな〜下関、ありがとう、青春のブルトレ…。
私も上京する時はいつもお世話になっていたブルトレ。熱海の海や大船の観音様を見て”東京来たなぁ”といつも思っていました。
東京~九州のブルトレが廃止されて久しいですが、この動画が懐かしき思い出を呼び起こすことになって良かったです。
マウンターおるな😉
あれからもう8年なんですね……。時々見に来ていますが、最後の悪あがきの如く鳴り止まないハイケンスのセレナーデ、乗客と沿線の皆さんに向けて別れの挨拶をするように鳴る汽笛に泣かされています。
ブルートレイン、もっともっと乗りたかったです。
8年の時の歳月というものは、長いようで短いように感じます。
定期列車として走るブルトレにはもう二度と出会うことが出来ないですが、日本各地に静態保存された「ブルトレ」には泊まることができて、辛うじて思い出にふれ合う機会が残されたことが何よりだと思っております。
タイで今も活躍している元ブルトレ達は毎日定期運行ということで、活躍の地は変わりますが、懐かしの「あさかぜ・瀬戸」を体験できる貴重な列車が海外に居ることも幸いですね。(マレーシアではJR九州の元ブルトレが活躍しているようです)
さよなら放送に合わせるかのような哀愁を誘う汽笛・・・
シーンと静まりかえった車内で聞こえてくるのはジョイント音。
車内では涙を流す人もいて、乗車した人でないと体験できない感動のシーンをこの映像で感じて頂ければ幸いです。
寝台列車・・・いつまでも無くならないで欲しいですね。
何度も響くホイッスルとオルゴール…『定年退職』というか、車内放送も『退職』。
後進に道を譲る最高の職人魂というべきですね。
車内放送を聴いて沸きあがった拍手…まさに職人といえる鉄道員に対して最高の賛辞だと思います。
そりゃあ そこら中に撮り鉄が居たら汽笛も鳴らすよ
コメントありがとうございます。
他の動画に「思い出の寝台特急はやぶさ・富士」をアップしてます。九州行ブルートレイン廃止直前の画像を多く出していますが、今見ると少々懐かしささえ感じるようになりました。
いいねぇ。プロフェッショナルと哀愁、味わう乗客が織りなすハーモニー。
やはり安さを求めた高速ツアーバスは案の定、重大死亡事故を起こしました。ブルトレは安全な乗り物だと確信しました。なぜ、ブルトレをなくすのかわかりません。
儲からないから。儲けるなら一泊¥50000~100000取らんと。そうなると鉄ヲタしか乗らないから更に値段上がるな😉
何回も見ましたがその都度泣けてくる。機関車も沿線のファンに向け鳴らしてくれている。
到着が2時間以上も遅れてラストランのはやぶさ、富士は東京に到着したんですが、沿線の皆様は最後の勇姿を見るためにずっと到着を待っていました。
機関車は沿線の皆様に沢山の警笛でお別れの挨拶をしているようにもみえますが、その光景はまるで機関車に「魂」があるのではと思ったことを懐かしく思い出しました。
放送の内容もさることながら、オルゴールのトラブルが逆に哀しさを誘います。
僕は子供の頃に何度も母親とブルートレインを利用したので、あの独特の空気感を今でもありありと思い出します。
もうあの空間が無い、と思うと胸が締め付けられる思いです。
寝台列車という独特の空間が、現実の世界から消え去る時期が徐々に迫ってきました。寂しい限りですね。
とても郷愁を誘う汽笛です。
ラストランとなったこの列車、ずっと何度も汽笛を鳴らしてくれました。
はやぶさ・富士を牽引する機関車の直ぐ後ろの車両にいましたので、ずっと哀愁ある汽笛を聞いていたんですが、”まだ頑張れるぞ!”と言っているようでした。
泣かせないでくれ。。
アナウンス終了後の乗客からの拍手に感動
アナウンス終了後誰かれなく拍手が沸き上がりましたが、この拍手がより一層感動と感涙を呼びました。
客車自体にも心が宿るのでしょうね。毎日人を運び続けた記憶を忘れないで下さい。と客車からの最後のメッセージなんでしょうね。
ラストラン列車は、まるで魂があるかのように”必死に”訴えかけている客車だったように思いました。
まだまだやれる...何度も鳴り響くオルゴールが別れを惜しんで泣いてるようにも聞こえますね。
4:15前後に汽笛を鳴らして大井町を通過していますが、この時ホームに居ました。感動したな~…。この時車内では拍手が起こっていたのですね、貴重な映像ありがとうございました。
3/14の東京行きラストランは事故の影響で大幅に遅れてきて、駅のアナウンスで「ただいま蒲田付近を通過しました」などと案内されていました。牽引機はEF66 42号機、大井町通過は11:27頃でした。
車窓に映っている209系も、この約半年後に京浜東北線からは全車引退してしまいました。
今の無機質な列車に比べたら本当に暖かな時代をはしりつづけた列車でしたね、日本の成長期を走り続け全うした列車に感謝しつつ今の時代を走り続ける列車達に期待をしつづけたいと思います。
昭和から平成にかけて走り続けたブルートレイン達も既になく、毎日黙々と夜行列車として走り続けた時代は終わってしまいました。
令和になり形を変えた夜行列車(というより観光列車)がブルトレのスピリッツを引き受け走り続ける時代が到来したことがせめてもの救いなのかもしれないですね。
小学生時代、両親の故郷の鹿児島に行くために毎年夏休みに乗りました。夕方に横浜駅を出て翌日の昼過ぎに川内駅に到着。車内放送のオルゴール音を聞いたら懐かしさがこみ上げてきて思わず涙。楽しかったなぁ~
終着放送の前のハイケンスチャイムが「まだまだ辞めたくないよ」と聞こえた様なそして放送終了後の乗客の拍手が感動です、牽引機の汽笛も最後のブルトレ牽引か寂しく悲しく聞こえた。
生で見たこともないのに、泣けてきた。
いつ見ても、ラストランの”あの感動”を皆さんと共有できるよう投稿した動画です。
「はやぶさ、富士」に続いて廃止された寝台特急「北陸」、そして廃止のカウントダウンが聞こえる「北斗星」や「日本海」など、別れを告げる”ラストランの放送”を聞く日がやってきてしまうことは、本当に寂しいことですね。
コメントを頂きありがとうございました。
今から12年程前だったと思います。
岡山から東京まで帰る際、最終の新幹線だか夜行バスだかに間に合わず(詳細は忘れました)、仕方無く「はやぶさ」で帰ったことがあります。まだ若くお金が無かったため、B寝台でも「チケット高いなぁ~!」と思ったのを覚えています。
「B寝台」と書かれた扉を開け通路に入ると、車両は閑散として静まり返っていました。同室の方も誰も居ませんでした。用意されていた浴衣に着替え、常に震度5ぐらいの揺れの中「なかなか寝付けないなぁ…」と思いながらベッドに横たわりつつも、なかなか機会の無い体験にワクワク。そして、いつの間にか夢の中へ…。
気が付くと、既に外は明るく、次は終点、東京でした。大慌てで着替え、サラリーマン風のおじさま方に混じりつつホームに飛び降り、1度家に帰ってから急いで仕事に行きました。
当時は列車などにはあまり詳しくありませんでしたが、今思うと本当に貴重な体験でした。長い間お疲れ様でした。そして、思い出をありがとう。
素晴らしい動画を有り難うございます。
他の方も書いてましたが、永久保存版です!
この動画はずっとyoutubeに残しておくつもりです。いつでもあの時の感動を見て頂けるように・・・。
案内放送の終了に合わせるように鳴らされる警笛がとても印象的でした。
昭和50年、高校3年の東京インターハイで九州別府から富士寝台特急で上京したのが懐かしい。涙です。
車掌さんと乗客の心をいただきました!
哀愁漂う日本の文化を見ているようです!
感動をありがとうございました。(泣)
この放送、泣けるな!😿
あまりの感動で泣きながら見させて頂きました🥲
大変貴重な映像ですね。
自分が乗った気分になってましたよ!
私は日本海しか乗ったことがありません!
織田車掌の最後まで職を全うする姿勢に感動しました。
最後のアナウンスで 『これで皆様とはお別れになります』
がカッコ良すぎてこの歳になっても車掌に憧れますよ。
NHKでもUPされてますが、織田車掌の最後のご挨拶をすべて聞けたのでよかったですよ。
今頃ですが...ありがとうブルートレイン
お疲れ様織田車掌❗️
このラストラン列車に乗車していた時の情景は今でも忘れられない光景ですが、その臨場感はこの動画でもお伝え出来ているのでは思っています。
意思が有るような機関車の汽笛、まだ頑張りたいと必死に伝えようとしているように見えるハイケンスのセレナーデのオルゴール。そして職を全うするような感動のラストランアナウンス。この動画を撮影した本人も、時々この動画をみていまだに感動を頂いています。
最後を飾るクラクションも味はあります。
改めて寝台特急は電車運転ゲームでは語れない永遠に忘れない特別列車だと思います。
感動しました。
汽笛は、沿道にファンの群れが見えるたびに鳴らしているんですね・・・。
とても素晴らしいファンサービスでした。なんとも言えない郷愁を誘う汽笛が”泣いている”ように聞こえるというコメントを以前頂いたことがありました。確かに”悲しげ”に聞こえる汽笛にとても感動したことを今でも良く思い出します。
本当に、自分が、帰省の時に何度も乗ったので、思い出があります。動画投稿してくださりありがとうございました。
最初のオルゴールはこわれたんじゃないですよ。
オルゴールも最後だから一矢報いたんですよ。
オルゴールもきっと感傷的になっていたことでしょう・・・。
EF66の哀愁のこもった長い汽笛に泣かされます。。子供のころからたくさんの寝台列車に乗ってまいりました。関西地区在住のため東海道ブルトレは「はやぶさ」「あさかぜ」しか乗車できませんでした。現在、夜行列車が激減し本当に寂しい。ブルトレ全盛時代は世の中もおおらかで、良い時代でした。24系の生き残り「北斗星」「あけぼの」そして急行「はまなす」がんばれ!
おおらか過ぎて○漢なんか犯罪扱いされなかった😭
車掌さんJR西日本って言いました?
私は最終下り列車を静岡で見送りました。あれから5年が経ちましたか・・・・・・・・・・・。
時がたつのは早いですね。「富士」という列車名は廃れることなくリニアに受け継がれてほしいと私は思います。 最後に聞いたEF66-53号機の警笛が鮮明に記憶の中に響いています。正に泣いているようでした(泣) でも、東京発九州行きの最終ブルトレを見送ることが出来たことが最高の思い出です!
織田車掌さんお疲れ様でした。
お疲れ様、富士、はやぶさ号ありがとう❗
また、この時代が必ずくる来ることを信じている!
絶対来ない😉
車内では、多くの方がこの放送を聞いて涙を流していました。
引退するのが早すぎる!
この放送、永久保存版や!
ブルートレイン富士
乗れなかったのは残念だったけど今まで45年間、たくさんの思い出、夢と希望をありがとう‼️そして、さようなら。さくら、はやぶさ、みずほ、あさかぜ、瀬戸、出雲、彗星、金星、明星、銀河、あかつきたちもたくさんの思い出、夢と希望をありがとう。さようなら、長い間のご活躍ご苦労様でした。
栄光のブルートレインを偲ぶことが出来る場所が全国に数多く残り、夢と希望を乗せた名列車にふれる機会が残されたことは何よりだと思っています。
NHKでの鉄道ラストランで出ていた小田さん。声でわかりました。老朽化とはいえブルートレインが廃止になるのは残念です。ハイケンスのセレナーデと66の汽笛が最後になるのを知らせてくれる様何回も聞こえ奏でてるのは残念です!
まるでブルトレに意思があるかのように聞こえるオルゴールでした。まだ頑張りたい・・・そう聞こえました。
このラストラン乗った時まだ3歳でしたラストラン車内放送を聞いて涙が溢れてティッシュ1こ使い切ってしまいましたブルートレインお疲れ様ですどうか生まれ変わってもお元気で
このラストランの乗車は一生忘れられない貴重な体験となりました。コメントを拝見すると「幼少の頃にこの車内放送を聞いて涙した」とありましたけど、その他の乗客も多くの方が涙していたことを昨日ことのように思い出します。
この動画は私がyoutubeで活動している間はずっと残しておきますので、いつでも「あの感動の車内」を追体験しにお越しください。
まだまだ頑張れるぞ!と叫んでいますね。
一生の思い出に残る感動の瞬間でした。
もう廃止されて11年…小さい頃大森の線路沿いに観に行った憧れの列車でした。追体験させてくれてありがとう。
東京駅へやって来るブルトレの最後の歴史をいつでも追体験できるよう、この動画はずっと残しておきます。またいつでもお越しください。
2時間近く遅延して東京に向かう「はやぶさ・富士」をずっと待ち続けていた沿線の皆様をずっと車内から見続けていました。
そして、クライマックスとなるこの「東京到着の案内アナウンス」の放送が終わる頃、ちょうどmirakun583様が待ち続けていた大井町駅を通り過ぎてゆきました。
アナウンスの終了とほぼ同じタイミングで汽笛が何度も鳴り響いたこと、車内では拍手、そして感涙されている方々…鮮明に思い出すこの情景、一生の宝物です。
あらためて特別の重みを感じます。沿道でラストランを見守る人々の思いも伝わってきます。動画を残してくださってありがとうございます。
東京行き「はやぶさ・富士」のラストラン案内放送をyoutubeで見られるのは唯一この動画だけのようです。NHKの番組でもアーカイブスで同列車の映像を今でも見ることが出来るようですが、いずれも貴重な、そして最後の輝きを見せるブルトレに対しての惜別を表す動画なのではと思っております。
恐らく史上最高の多くの人々がラストランの日に集ったのではと思います。
特別な瞬間を多くの方々と過ごしたことがとても良い思い出になっています。
悲しく連続して聞こえてくる汽笛・・・最後の車掌さんのアナウンスで、涙が止まりません。
ありがとう、はやぶさ号。
もうしばらく続く夜行列車の廃止。その度に心が痛みますね・・・。
時代の流れは時に素晴らしいものを奪っていくのだとつくづく思いました。ついにブルートレインも全廃する方針みたいです。一ファンからいうと「せめて一往復でいいから残してくれ」という気持ちがありますね。
時の流れに抗うことができない運命のブルートレイン。何らかの形でブルトレの定期列車を残して欲しいと私も思います。
EF66のホイッスルが泣いているように聞こえるのはみなさん同じみたいですね。ハイケンスの機械式オルゴール(だったんですね最後まで。私は電子式チャイムに置き換えられていたと思ってましたが)が何度も鳴って止まらなかったのは何かを訴えているかのようにも感じます。
私は東京発ブルトレには何度か乗車しましたが、九州入りはできませんでした。今考えるとどうして西鹿児島まで行っておかなかったかと、そしてもっと乗っておかなかったのかと悔やまれてなりません。今はせめてもの想いで、北斗星にせっせと乗っています。Wikipediaには新幹線開通後も当面存続されることが決まっているとありますが、車両老朽化を考えると、そう永くは無いでしょうから。
貴重な映像どうもありがとうございました。
九州方面に行くブルトレが全廃になるという報道があって、俄然注目されるようになった寝台特急はやぶさ・富士。飛行機との時間、運賃競争に勝つことが出来ず魅力を出せなかったこの列車の廃止報道前は、乗客が乗っていない車両が連なる、まさに”空気輸送列車”でした。
日陰で頑張ってきた名列車が最後の錦を飾る時の映像がこの動画ですが、ご指摘のように”泣いているように”聞こえ、まるで列車に感情があるように思えますね。「もう少し頑張っていたかった」と・・・。
昭和の良き時代を伝える北斗星の存続が決まっているのは嬉しい限りです。できる限りの活躍を期待したいですね。
自分はブルトレに乗ったことないけど、隣あった知らない人と話し合ったり、飲んだりとかって、いい話だなと思う。中にはそれが縁で、その後連絡を取り合ったり、付き合ったりという人もいたと思う。これが本当の人と人とのコミュニケーションなのだろう。
新幹線や飛行機では、そんな醍醐味を味わうことはない。しかも現代は、みんなスマホばかり見ていて、他人は関係ないと。
何だか、つまらない時代になってしまったな。人としての温かみも何も無くなってしまった。
さて、今日はどんな乗客と九州から東京までご一緒するのかな?まさか女子?なんて妄想を膨らませながらB寝台のベットに向かうワクワク感が昔ありました。
相部屋?となった乗客から差し入れのお菓子もらったり差し上げたり、老夫婦とご一緒した時は旅の思い出話を沢山聞いて、車内が減光(夜行列車にだけあった照明の操作)しても静かな声で話続けていたり・・・、振り返ると旅の醍醐味が存分にあったブルートレインでした。
また、あの「ふれあいの旅」が復活しないかなぁとひそかに思ってます。
この動画に対して「一言で言う! 永久保存版や!」というコメントを8ヶ月程前に頂いたことがあります。
再び永久保存版”感動のコメント”を頂き、本当にありがとうございます。
EF66の汽笛がさよならそしてありがとうって66が言っているように自分は聞こえる。
私は上京の時、何度もこの”ブルートレイン”に乗ってきました。
九州から東京へ向かう寝台特急「あさかぜ」や「みずほ」「さくら」、そして「はやぶさ」。幾度となく乗ってきた九州発東京行き寝台特急のラストランとなる”はやぶさ”には、特別の思い出が残りました。
あれから15年 現在は寝台特急がサンライズのみとなりました。ブルートレインはこれからも永遠の大切な宝物
一言で言う! 永久保存版や!
何で、定期の九州ブルートレインに乗らなかったのだろう...。と何時も何時も悔やんでいます。
その悔いを少しだけでも無くす為に、毎度毎度の鉄道利用を大切にして参りたいです。
今更ながら、はやぶさ・富士、ありがとう!!そしてこれから姿を消す、あけぼの他数列車もありがとう!!!
そうですね。
北斗星・カシオペア・トワイライト~(・はまなす)も何とか両親や祖父母に御願いして乗りたいです!!
リアルに、乗ってました。
この放送、録音してました。
ブルトレ、懐かしいなぁ
自分のパソコンの壁紙にしてる。ラストランの何日か前の横浜上り駅撮り。スマホでも使う時期ある。スマホの着信音はハイケンスのセレナーデチャイム(取り込んだmp3)。
やっぱり乗った時のことを思い出す。
さくら下り
あさかぜ2号
富士下り
あさかぜ4号(食堂車ラスト)
北斗星6号
いい思い出です。
50目前のおっちゃんですが小学生低学年だった昭和51~52年頃は東京駅や上野駅へ行くと両手で数え切れない程、寝台列車は発着してました。大きくなったら、全列車制覇してやるぞと子供心に思ってました。それから20年くらい後の1990年代後半から2000年代前半の頃、小学生の頃の半分にも本数は満たなくなっていましたが趣味の旅行の時は使っていました。「あさかぜ」、「出雲」、「富士・はやぶさ」、急行「銀河」、「あけぼの」、「はくつる」、「北陸」、「なは・彗星」、「なは・あかつき」また「きたぐに」、「だいせん」、「日南」、「能登」、「大雪」、「まりも」、「利尻」など客車ではなくても魅力的だった夜行列車たちも過去帳入りしてしまいましたね。15年くらい前までは今書いた列車達は健在でした。それらに乗車できたことは良い思い出として残っております。
上野駅地平ホームの佇まいは昭和50年代頃より大きく変わってないような印象ですね。
私も「ひばり」「みちのく」「とき」「あさま」といった昼行、夜行列車が屯していた頃に生まれて初めて上野駅での駅撮りをした思い出がありますが、次々とやってくる特急列車・寝台列車に”ワクワク”しながら必死に撮影をした頃が懐かしいです。
カガッチィー様の思い出に残る夜行列車達も今では跡形もないですが、この動画では在りし頃の夜行列車「はやぶさ」を何時でも見て頂けるようにしています。
泣けるじゃねぇか、、。
ブルートレイン、単に好きだというだけでなく、なにげに便利だった。最終の新幹線より遅く出て、朝一の新幹線より先に着くから、1日力一杯遊んだのもなつかしい。サンライズは大切に守っていこう。
本来ブルトレは深夜に陸路を移動できる便利な乗り物で「動くホテル」と言われて重宝がられていた筈が、新幹線や飛行機との競争に打ち勝つことができず静かに姿を消してゆきました。
サンライズは、この面でまだまだ十分対抗できる貴重な寝台特急ですので、ずっと残って欲しい列車ですね。
kirin0825 十年以上前、まだサンライズがデビューしたころの「旅と鉄道」で 、あえてブルートレインで修学旅行に行く高校がでていたのですが、その学校の校長先生のコメントを思い出しました。新幹線や飛行機のほうが速いし、快適だけど、夜中に働いている人の姿を生徒に見せたい、そして働くことの尊さを感じてほしい というような内容だったと思います。ブルートレインとともにそういう考え方も消えてしまうとしたら寂しい。この映像がいつまでも残って、この列車を動かしてきた方々に思いを馳せるきっかけになってほしいと思います。ありがとうございました。
東京~福岡でも、最終の新幹線🚅よりも後の飛行機✈️でその日のうちに到着できるけど😉
この動画を見て、車掌が告げる最後の車内放送を聞くたびに、胸が高まる思いです。2005年あたりまでは、「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」の、4つの東京行きブルートレインが運行されてきましたが、新幹線や航空機に客を取られた関係か、次々とブルートレインが消えてゆく中、この残されたの2つの東京行きブルートレインが2009年3月14日に廃止されたことには、鉄道ファンの私にとって、とても残念であり、特にこの「富士」には私が1度は乗ってみたかった列車の1つでした。
現在は「さくら」と「みずほ」が九州新幹線に、「はやぶさ」が東北新幹線〔E5系車両専用〕に使用されていますが、この「富士」だけがJRの列車名から消えて、何だか名残惜しい感じがしてなりません。
廃止されたどのブルートレインにも、上記のような「名残」がありますが、この「富士」だけは「名残」の灯火が消えてほしくないと願うばかりです。
伝統の列車名”富士”のトレインマークが、いつか復活することを願ってます。
本当に小さい子供の頃に母親の田舎に行くのは富士でした
非日常でブルートレインはワクワクした記憶があります
それが博多まで新幹線が行くようになり(ひかりですけどね)
今となっては飛行機の方が早くて安い
小学生の音楽の授業で聞きた「夜汽車」という曲
いつも家から聞いている夜汽車の走行音を聞き
その汽車に乗ってみたい!そんなのは、今ではないんですかね
九州に夜汽車で出掛けるというチャンスは無くなりましたが、辛うじて北海道方面にはブルートレインで旅をすることができます。
夜汽車の雰囲気は独特で、風情ある列車が消えてゆこうとしてることは寂しいことですが、クルーズトレイン「ななつ星」みたいに”これからの新しい寝台列車”も登場していますので、まだまだ日本の鉄道で「夜汽車の旅」を楽しむことは出来そうですね。
放送が一通り終わった後、車両センターを通過する辺りで微かにすすり泣きされている方の声を収録しています。
機関車の次の車両だったこの11号車では、全ての乗客が鉄道を愛する方々だったと記憶しています。愛ゆえか拍手の後に涙する方も多くいらっしゃいました。
この動画を見る度に、東京へ向かう最終のブルトレ車内で体験した感動を思い出します。
2009年子供の頃よく乗ったはやぶさ(他にも、みずほ、明星、なはも利用してました)が無くなって、時を同じくして東北に仕事で異動したところ、自宅横を日本海が走っているのに気がついて、帰省時はいつも利用していました。(きたぐにも利用してましたが)そして、東北の地を去る事になった2012年3月、日本海ときたぐにも廃止となってしまいました。
この動画はずっと後世に残しておきたい、そして、見たい時にいつでも見れる動画であって欲しいです。貴重な動画ありがとうございました。
この動画は、いつまでも皆様に見て頂けるようずっとyoutubeに残すつもりです。
ラストランは、あけぼの、北斗星、トワイライトエクスプレスとこれから毎年のように続いてしまい残念ですね。
時代の流れに抗うことはできない運命のブルートレインですので、現役で活躍している間はしっかり記録に残す活動をこれからも続けていきたいと思っています。
小学生の頃、大井町駅を通過して行くブルートレインの姿がとても印象深く残っています。
ホームのひとつ奥の線路を走り抜けて行くんだったかな?
『ブォォーン』という機関車の轟音があり、その後ろが機関車に引っ張られているブルートレイン。ガタンゴトンの音がとても速く、子供ながらにその力強さに圧倒されたのを覚えています。
いつだったか、走り去るブルートレインに手を振ったら機関車の運転手さんが手を振りながら汽笛を鳴らしてくれたのにはとても興奮したのを覚えています。
大人になった今でも、この動画を見ると子供の頃に見た記憶が甦ってきます。
特に電車が好きだった訳ではなかったですが、ブルートレインだけは特別憧れていました。
乗った事はありませんが、これほどの存在感溢れる列車は、ブルートレインにしかないのかなと思いました。
全盛期の面影は見られなくなりましたが、品川車両基地には多くのブルトレ、そして牽引機がずらりと並び、旅情をかき立てる景色がありました。九州や本州各地域と東京をひとつに繋ぐブルートレインの存在感は大きかったと思っています。
この動画でも丁度「大井川駅」を通過するタイミングで汽笛が鳴り、最期の勇姿と相まって”感動の鉄道旅”となりました。
走り去るラストランのブルートレインに多くの人が手をふってくれていましたが、きっと運転士の皆様もそれに応えて手を振ってくれたんだと思ってます。
ブルートレインが走ってくる音って通勤電車のそれとは違って独特で、小学生の頃は線路脇で「次に来るのはブルートレインだ」と言いながらよく眺めていました。
走り去るブルートレインの行き先 長崎、佐世保、西鹿児島、宮崎と言った遠く離れた九州の地名を見て胸を熱くしていた頃を思い出すと自然と涙が出てきます。
wildshark1970 さん、ご無沙汰しております。
この車内放送が終わった後、自然発生的に沸き上がった拍手の賛辞でしたが、一緒に拍手しながら心より感動したことを思い出します。
これからも日本海、あけぼの、北斗星…後に続くかも知れないブルートレインのラストラン。その時もこの動画と同じような感動の場面があることと思います。
ガチで泣いた
素晴らしいです!やっぱ寝台列車は趣がありますね!
私、青森なので富士号には乗車したことはないのですが、ブルトレの代名詞であった富士号には乗りたかったです・・・(はやぶさ号は予期せず新幹線と進化して東北の地を走るとは・・・)
今は残り少なくなったブルトレ、「あけぼの」号を私は全力で応援し、利用します!
幼い頃に乗った記憶がよみがえる.....
76~81~66でバトンタッチしていた頃、機関車の誘導する人に憧れていたことも。
若い頃一度だけ乗った、新幹線もいいけど寝台特急もいい
日本列島を東へ西へ、日本の歴史の一ページを飾ったブルートレインに本当に感謝しています。
着メロ用にハイケンスのセレナーデを作ろうと思って探していたところ、この画像を見ました。皆さんのコメントの通り感動しました。この車掌さんはまだ現役なのでしょうかね。素晴らしい、感動です。また、最後JR西日本の車掌として安全第一で締めくくるこの車掌さんの悔しさや心意気が伝わり、さらに涙しました。何度も鳴るホイッスルもたまりませんね。kirin825さん貴重な映像ありがとうございました。
機関車も盛んに泣いてるねえ(T_T)
まるで感情があるみたいですね。
日本に生まれて良かった。
こういう列車は中国🇨🇳の方が隆盛だよ😉
寝台特急乗りたかったなぁ。新幹線もいいけど、新幹線に寝台特急ほどのロマンはないよな。
寝台特急、復活して欲しいですね。
確かに新幹線にロマンはない!リニア新幹線も開業当初はロマンがあるだろうがすぐに廃れるだろう。新幹線もリニア新幹線も景色を楽しむ余裕がないためロマンがないように感じる、
サンライズも車両更新が無ければ数年後引退になるのかなぁ
けどやっぱりELに牽引された寝台車に乗りたい
悲しすぎる
廃止の理由が解らない
こんな合理的な乗り物を。
合理的な価値のある乗り物を廃止せずに済むよう施策をもう少し早くしていればと考えると悔やまれます・・・。
朝起きたら目的地の寝台列車。新幹線の日中の退屈な数時間・・・。どっちがいいか、解るよね。短時間でしたが、大阪から防府までこれに何度も乗ってました。
オルゴールは壊れたんじゃない。最後だから思う存分鳴らしたかったんだと思う。
そして、その後の感動的な車内放送で、もう涙腺崩壊。
これほどまでに感動的なラストランは他にあるだろうか……。
まるで魂があるかのように思う存分に鳴り響くオルゴール。この涙腺崩壊の車内放送をラストランのブルトレの中でずっと聞いていましたが、本当に心に響く感動の放送だったことを昨日の出来事のように思い出します。
209系なつかしい…
そして感動した。
丁度、ラストランを記念する案内放送が終わった直後に”寂しげな”汽笛がなりました。EF66の運転士がこの放送を聞いて、放送に応えるように汽笛を鳴らしてくれたように感じました。
無粋なことを言うと、機関車の中に車内アナウンスは入ってこない。
しかし逆に言うと、乗務員の思いが起こしたささやかな奇跡、とも思われますね。。。
2時間近く遅れて到着したブルトレを待ち続けた皆様に”盛大に”汽笛のサービスをしていたラストラン列車。不思議なことに”感動の案内放送”を聞き遂げたその瞬間に「寂しげな汽笛」という歴史の最後を締めくくるに相応しい演出を体験することになりました。
乗務員の皆様の想いと乗客の想い、そして見送る沿線の皆様の心が一つにつながった歴史的瞬間を動画に残せたのかもしれません。
このあとも良い旅をっていい言葉だなぁ
オルゴールの故障もブルートレインならではだと思っています。
ブルートレインは子供たちの憧れであり、おじいちゃんおばあちゃんの青春時代を思い出させる貴重な鉄道遺産だと思います。放送終了後の拍手で、ブルートレインはどれだけ愛されていたのかがわかりますね。
放送が終わった瞬間の汽笛と拍手、感じるものがありますね~。
自分が最後の学生生活を終え、最後のホームルーム。冒頭のハイケンスのセレナーデを何度も流して、少々の思いで話をしてありがとう○○高校、さよなら3学年と言って旅だった。次の日、東京へ卒業旅行。このEF66を撮影。老朽化とは思えない車体だよねとカミさん(当時は自分の彼女)が言った。そう見えてものう、機器類は老朽化してるんよと答えたのを思い出す。
ラストランを務めたEF66も見た目には全然「草臥れた」感じがしない状態でしたが、実は満身創痍の状態だったのかもしれないですね。
この動画が「カミさん(当時の彼女)」との懐かしい思い出にふれることになっていたらとても幸いです。
機械の老朽化や自分自身の老朽化にも勝てない。でも蒸気機関車が今でも走っていることだけでもありがたい。三菱や川崎などといった日本の重工業のバイオニアが製造した車両は頑丈で、もしそれらのメーカーがなかったら鉄道そのものもないと言えよう。
これよりかっこいい列車はない
多分、今の若者は、E5系「はやぶさ」の方がかっこいいと思ってるよ😉
ごめん🙏ブルトレの方がかっこいいと思う
ブルートレインという存在が、人生に大きく関わっているということをコメントを拝見して改めて痛感しました。
行きでなく宮崎への帰りに"富士"に乗車ということは、賑やかな東京を離れどんどん寂しくなる車窓を眺めながらの旅だったと思いますが、かなり辛かったのでは?
大切な思い出を振り返ることに、この動画がお役に立てて良かったと思います。